水曜日, 6月 26, 2013

余市の海

今週の日曜日は、妻とふたりで余市方面へ車を走らせた。

天気もよく、ドライブ日和であったが、生憎エアコンがこわれてしまったようで、車内は暑かったが、窓を開けて新鮮な風を浴びられたのでこれまたよかったのかもしれない。

余市港近くの燻製茶房燻香廊という燻製の味をメインにしたお店でランチを。
妻はスモークチキンとトマトソース煮、わたしは、スモークチキンのカスレを食べた。
どちらも燻製の風味が絶品で美味しくいただきました。

お昼時だったので店内は満席で、しばらく余市港を眺めながら待っていたのも気持ちが良かった。

食事を終え、ちょっとだけ余市の砂浜のある穴場的海岸にて、妻とふたりで日光浴。
その日はとても晴天で穏やかな潮風がとてもいい気分だった。
妻の胸の具合もこの潮風でいくらかでも穏やかになってくれればと思いながら、きれいな海岸線をぼんやりと眺めていた。

ほんの数時間のドライブであったがとても楽しい時間であった。

なんにしても、妻の体調がだいぶよくなってきたように感じたのが何よりである。

木曜日, 6月 13, 2013

ケイタイデンワのこと

夏になり薄着になるとやっかいなことがある。
昔はケイタイデンワは一台だけしかなかったのでシャツの胸ポケットにでも入れておけばよかったのだが、いまは、普通のケイタイデンワ(ガラケイ)とiPhoneの二台があり、それにタバコとライターとなると、ポケットがいっぱいになってしまう。
どうにもモコモコしてやっかいだ。

カバンにケイタイデンワを入れておくと、着信が気がつかないので、仕事がらやはり身につけておくほうがいい。

と、書いていて、ガラケイかiPhoneのどちらかにすればいいだけのことなんだと気がつくが、どうにもiPhoneだけではケイタイデンワとしての通話という機能に未だ不安がある。
どうにも困ったものである。

おそらく、あと数年でiPhoneを含めたスマートフォンだけになるのだろうが、その頃には通話品質やバッテリー寿命時間の問題もなく快適に使えるようになっているのだろう。
いまは、まさに過渡期ということなのだろう。

大昔のようにケイタイデンワなどなくても何ら問題はなかったのだが、今ではケイタイデンワが無いと非常に不便だ。
いまでは一見たくさんのひとたちと繋がっていられるような感じだが、いまさらながら、ケイタイデンワなどなかった昔が懐かしくひととのコミュニケーションも充実していたような気がする。

「やなこと忘れて飲みますか!」

これだけで、十分だった時代がまた戻ってくるとうれしいという思いがとても強いのはわたしだけなのだろうか。

火曜日, 6月 11, 2013

千本ナラにて

先週の土曜日も夏のような晴天だったので、妻と浜益方面へドライブに出かけた。

石狩を抜けて望来の奥にある海の見えるピザ屋さんにてランチ。
まさに海がどーんと眺望できるお店であった。
ピザの味もまぁまぁ。
隠れ家的なのか、けっこう客が来ていた。

その後、厚田に寄って、綺麗な水平線を眺め潮風をたくさんあびてきた。

そのままオロロンラインを下って浜益まで。
そこで、名物「手焼きどら焼き」を購入。
妻は、とても満足気であった。

帰り道、有名な「千本ナラ」の場所へと、山頂近くまで車で上り、ようやっと、目的地に到着。
ちょっとした階段を降りると、三本の大きな樹木が佇んでおり、病気や願い事を叶えてくれるとのこと。
妻の病気がよくなることを祈り三本の樹木に手を合わせる。

名所なのでひとがたくさんかと思っていたら、わたしたちの他にはおふたりだけであった。
腰の曲がったおばあさんとその方の孫だと思われる青年。
青年は、おばあさんの手を引いて、ゆっくりと千年ナラの木の道のりを歩いていた。
どうやら、昔におばあさんがここに来たことがあって、孫に連れてきてもらったとか。

千本ナラの樹皮に触れたり、葉で患部をなでると病気が治ると言われている。
葉っぱは、ゆうちゃんが以前妻のためにとってきてくれたのだが、なかなか葉っぱを取るのは難しかっただろう。
何せ樹高30メートルはある大木の葉なのだからなかなか届かないのである。

ただ、偶然に千本ナラを見つけられて、よかった。

木曜日, 6月 06, 2013

らいく・あ・さまーたいむ。

先週の土曜日、天気が良かったので妻と一緒にふらりと余市までドライブをしてきたのだが、久しぶりに清々しく楽しいひと時であった。

まずは、余市港の近くにある「燻製茶房 燻香廊」にてランチ。
わたしはボルシチ、妻はポトフを注文。
燻製茶房というだけあって、食材は全て燻製されており、調味料は塩くらいなもので、あとは燻製の出汁!?で味を整えてある。
これが絶品で、とても旨い。
サラダの豆腐も燻製、デザートのカボチャのムースも燻製!!
燻製されたカボチャのムースに生クリームが添えてあるのだが、一緒に口に運ぶと何と上品なカラメルの味のようでとても美味であった。

たっぷりと燻製ランチを堪能したあと、近くの浜辺に車を停めて、砂浜を眺めながらふたりで潮風を浴びていい気分であった。
まだ6月上旬だったので家族連れが釣りをしたり子どもたちが砂浜を走り回ったりしていた。
のどかな風景で自然に笑顔に。

妻はこの冬ずっと入院していたので退院後はじめての海で、とても喜んでいた。
潮風は肺に良いということを聞いたことがあるので、たくさん肺に潮風を吸い込んできたように思う。

この夏は、少しでも自然と戯れることができれば幸せである。

水曜日, 6月 05, 2013

北都心ノ病院ニテ幻覚幻聴ニ襲ワレルコト

 タイトルはもちろん、澁澤龍彦のエッセー「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」の真似だが、昨年(2012年6月)食道の腫瘍摘出手術をした時に正に恐ろしい幻覚と幻聴に襲われたのは今でもくっきりと脳裏に刻み込まれている。

 まずは手術後ICUにておかしな現象が起こった。
腹を切られてベッドに仰向けにしかできなく、自分がどのような場所(ICU)にいるのかが理解できなかった。
そうこうしているうちに、脊髄に埋め込まれているチューブから痛み止めという薬が注入された。注入された瞬間、全身が冷たく感じた。今思えば、痛み止めというのは麻酔系の薬だと思われる。
 その痛み止めを注入されてから10分も経たないうちに、幻聴がはじまった。相当重症な患者が大手術をしたのでその監視を怠らないようにと医師が言っている。わたしは仰向けにしかなれないのでその様子がわからない。唸り声と獣の叫びのような音が混ざったような不気味な声が聞こえる。まさに、断末魔だ。ただ不思議なのが、同じ会話や音が何度も繰り返し聞こえるのだ。「監視を怠らないように」「聞こえますか?」「首を切っているからね」あとは、コツコツという足音、それも同じリズム。カーテンの引く音。頭のなかが同じ音の洪水で溢れていた。
 身動きできないので、ただただ恐怖に慄きながら聞き入っていた。
 ひとつ、おかしなかことがあった。それはその重症患者に付き添っていると思われる母親の声がわたしの妻の母親の声なのだ。世の中にはそっくりな声のひとがいるものだと思っていたが、これも幻聴だろう。

 この音の洪水のICUにはまる二日間いたのだが、一般病室の個室に戻れることになったときには心からホっとしたものだ。

 ただ、その想いは甘かった。個室に戻ってからがいよいよ幻覚幻聴がヒートアップした。断末魔のような幻聴はなくなったが、今度は医師たちがわたしを実験材料には最適だというマッドサイエンティスト的な会話が聞こえてきた。
「いまだと、腹の傷口から細菌をふりまけばすぐに感染するな」
「成功させるためにも医師、看護師が一丸となってとりかかるように」
という今思えば三流漫画にも劣る内容だが、その会話がぼんやりではなくて、はっきりと聞こえてくるのだから、こっちとしては恐ろしい事この上ない。
 
 ICUでは幻覚は見なかったが、個室に戻って、すぐに幻覚がはじまった。ベッドの左手に広い窓があり新緑が見えるのだが、その窓に炎や死、怨という文字がメラメラと揺らめきながらうつっている。次にはカーテンレールに添って布の筒(送風させるためのものらしい)があるのだが、その筒の先端が鬼のような形相に変化して、こちらを上からじっと覗いている。たまにそれが伸びたり縮んだりする。まことに気味が悪い。かと思うと、天井に赤いシミが見えた方思うと、みるみる拡がってハングル文字のようなへんな形の文字のようなものが天井いっぱいになったりした。
 あとは光だ。目を瞑るとピンポイントに光を当てられているようでとても眩しく熱い。そして、目を開けるとそんなことはない。また瞑ると眩しく熱い。眠れないのである。

 深夜、そのような光攻撃と幻覚幻聴に襲われながら、無意識に妻へメールで「殺される!転院させてくれ!」と送っていた。何事かと飛んできた妻は不安気にどうしたの?と聞くので、すぐさま、わたしは「盗聴されているから喋らないで」と。
その後、しばらく筆談をしたが、妻にはまったく理解できないようであった。当たり前である。すべては、わたしの脳内で起こっている幻覚幻聴なのだから。

 孤立無援。そんな感じを覚えたが、わたしには現実に見えるし聞こえるので、看護師が血圧を計ろうするのに罵声を浴びせたりしていたようだ。

 幻覚幻聴はICUにいるときをふくめて、四日間ほどで終わった。何もなかったように静かになった。

 それにしても自分がこのような、せん妄性の幻覚幻聴に襲われるとは思ってもみなかった。ただ、思い当たることも多少ある。この腫瘍摘出術はどうにも腑に落ちないところがあって、手術するのにとても抵抗感があったのだ。どうやら、納得せずに腹を切るとろくなことがないようである。